私たちは、つい「もっと良くなりたい」「もっとできるようになりたい」と願ってしまうものです。
その願い自体はとても自然で、尊いものだと思います。
でも、気づかないうちに「今のままじゃ足りない」「今の自分では不十分だ」と、無意識のうちに“欠けている自分”を出発点にしてしまっていることはないでしょうか。
私自身、過去には「もっと頑張らなきゃ」「もっと誰かの役に立たなきゃ」と、成長を追いかける日々を送っていました。
学び、実践し、結果を出す。
その繰り返しの中で、一時的な達成感や安心は得られるけれど、心の奥ではどこか違和感が残り、「これでいいのかな」という感覚が消えることはありませんでした。
そしてあるとき、ふと気づいたんです。
ほんとうに変容が起きる瞬間というのは、
「何かを手に入れたとき」ではなく、
「何かを手放せたとき」だったのだと。
それは、見栄でもなく、焦りでもなく、
「いまここにあるもの」をちゃんと見つめられるようになった瞬間だったのです。
たとえば、朝の空気を吸いながらゆっくりと深呼吸したときの、胸の奥がほどけていくような感覚。
子どもの何気ないひと言に、思わず「ありがとう」がこぼれるとき。
家族の言葉にカッとなったけれど、「あ、いま自分、余裕なかったんだ」と気づけたとき。
そんなささやかな瞬間にこそ、
自分とつながり直している感覚がありました。
それは、“目に見える変化”ではなく、
むしろ“感じられる変化”。
「私はこのままでも、ちゃんとここに生きている」
そんな安心感が、少しずつ育まれていったのです。
これまでの私たちは、「もっと」を積み上げることで、自分の価値を実感しようとしていたのかもしれません。
でも、これからの時代は、「すでにあるもの」とつながる感性が、より大切になっていくように思います。
成果や実績のような“外側の評価”ではなく、
どれだけ“今”を生きているか。
どれだけ自分と調和しているか。
それが、子どもたちや周りの人たちにも、自然と伝わっていくからです。
特に子育てや人の成長に関わる立場にある私たちにとって、
“いまをどう生きているか”という在り方こそが、
何よりも大きな教育であり、愛の伝え方であると感じています。
親や大人が、“いま”に不安を感じていると、
子どもたちも「今はダメなんだ、もっと頑張らなきゃ」と思い込んでしまう。
でも、親が“今ここ”を穏やかに味わい、
喜びを見つけながら過ごしていると、
子どもたちもまた、「このままの私で大丈夫なんだ」と、どこかで安心するのだと思います。
そんな在り方は、努力でつくるものではなく、
“感じること”から育まれていきます。
忙しい日々のなかでも、自分の呼吸に気づいてみること。
目の前の誰かに、心からの「ありがとう」を伝えること。
疲れたら、無理にがんばらず、ただ静かに休むこと。
そんなひとつひとつが、自分自身を調えていく行為であり、
その積み重ねが、いつの間にか自分の世界をやわらかく変えていってくれるのです。
もちろん、ときには自分ひとりでは気づけないことや、
なかなか手放せない思考のクセもあるかもしれません。
そんなときは、信頼できる誰かと共に、対話のなかで問いを深めてみることも、とても大切です。
私がコーチとして伴走しているのも、
その“見えていない可能性”とつながるサポートができると信じているからです。
どこかで思考がぐるぐるしてしまったとき、
「ちゃんと立ち止まっていいんだよ」と伝えたい。
「まだ変わっていない自分」ではなく、
「もう、すでに変わり始めている自分」に気づいていく。
それこそが、本質的な変容であり、
ほんとうに「自分を生きる」ということなのだと思います。
あなたは、今日という一日を、
どんな“在り方”で過ごしていきたいですか?
静かな問いとともに、自分自身のいのちとつながる時間を、どうか大切にしてみてください。