時代はまさに「満たされなさを埋めようとする時代」から、「本質へと繰り戻る時代」へと大きくシフトしていると感じています。
私たち人類は、なぜこれほどの技術や知性を持ちながら、 それでも心の安定や充実感を実感できずにいるのでしょうか?
あるときまでは、病毒や食料不足、戦争よりも、 「もっと上を」「もっと充実を」と求める欲望そのものが、人を動かす力になってきました。
しかし、必要なものが手に入った人類が次に求めはじめたものは、 不死や神性、幸福の最適化といった、もはや「人間を超える」ためのゴールだったように感じています。
私はそこに、違和感を覚えるようになりました。
このコーチングブログを読んでいるみなさんの多くもきっと、 これまでの成長は、何かを手に入れるためにあったのかもしれません。もっと報われたい、もっと多くを手にしたい、もっと意味のある仕事をしたい。
それ自体は悪いことではないと思います。 ただ、もしそのすべてが「充実感」のためだとしたら?
成果や得られるものによって、ようやく価値を感じられる、ようやく充実感を感じられるのだとしたら?
どんなに手にしても、充実感は永遠に待ち続けることになり、そしてその姿を見て育つ子どもたちもまた、 “何かを手に入れなければ満たされない”という感覚を、 無意識に受け継いでしまうかもしれません。
だからこそ、ここで一度立ち止まって、 こんな問いを投げてみてほしいのです。
これまでの私は、何かを得ることで 充実感を感じようとしていなかっただろうか?
そして、私がまた充実感を感じながら生きている姿は 、誰の未来に光を渡しているだろう?
この質問を自分の中に落とし込んだとき、 ここからのゴールは、「達成」とは異なる何かかもしれません。
あなたもすでに感じている部分があるかもしれません。
すでに手にしているものや、まいにちの日常の中に、 本質的な充実感に触れる静かなひとときが、すでにあることを。
けれど、どれだけ問いを立てようとしても、
人には必ず“見えていない領域(スコトーマ)”があります。
自分ひとりではたどり着けない気づきに出会うには、
安全と信頼できる場の中で、問いを受け取り直す時間が必要な場合もあります。
私がコーチとして伴走しているのも、
その“見えていない可能性”とつながるサポートができると信じているからです。
その対話の中で、少しずつ自分自身の本質と出会い直す時間こそが、
本当の意味で「自分らしく生きる」ことへとつながっていくと信じています。