コーチングの世界では、「コンフォートゾーンを抜けることが大切」とよく言われます。
現状の自分から一歩外に出て、まだ見ぬ可能性に踏み出していく。
それによって、自分の枠を広げ、成長し、望む未来を手にしていく。
私もこれまで、そんな言葉に背中を押されながら、何度も自分の限界を超えようとしてきました。
実際に、コーチングに出会い、多くの学びと実践を積み重ねる中で、
以前の自分では想像もできなかったような変化や成果を得ることもできました。
けれど、ここ最近は、ある違和感が芽生え始めたのです。
それは、「もっともっと」の先を目指し続けることに、どこか疲れを感じている自分。
どれだけ進んでも、「まだ足りない」「もっとできるはず」と思ってしまう癖。
達成しても、どこかで「これじゃない」と感じてしまう心の奥の空白。
そして同時に、ふと思ったのです。
私がこの“もっともっと”を追いかけ続ける姿を見せ続けることは、
本当の意味で、子どもたちの未来のしあわせにつながるのだろうか?
頑張ることは美徳のように語られるけれど、
自分を置き去りにしてでも走り続ける姿が、果たして“豊かな人生のモデル”になるのだろうかと。
もちろん、努力や挑戦が無意味だというわけではありません。
「もっとがんばらなきゃ」「もっと誰かの役に立たなきゃ」
そんな想いで突き動かされる日々は、確かに何かを生み出してはくれました。
でもそのたびに、「これでいいのかな?」という問いが、私の中に残り続けていたのも事実です。
「満ちる」ことを知らずに「目指す」ばかりの背中は、
どこか不安や欠乏を子どもたちに伝えてしまうような気がしてきたのです。
だから私は、まず自分自身が、
「いまここにあるものを味わい、すでにある豊かさを受け取る」という在り方に戻ることが、
本当の意味で子どもたちへのギフトになるのではないかと感じ始めました。
そんなある日、ひとりで自然の中を歩いていたときのこと。
風の音が心地よく、木々の葉は静かに揺れていて、
なんてことのない時間なのに、ふいに涙がにじんできました。
何かを得ようとしなくても、変わろうとしなくても、
私の中には、満たされてるものがあることを心から実感できた瞬間でした。
そのとき、肩の力がふっと抜けて、何かにしがみついていた手をゆるめても、
すべてがちゃんとそこにあったことに気づいたのです。
私がずっと「得よう」としていたもの。
それは、もしかしたら“すでに持っていたもの”だったのかもしれないと。
そこからでしょうか。
私の中で、「成長」の定義が静かに変わっていきました。
かつての私にとっての“コンフォートゾーンを抜ける”とは、
“もっと頑張って自分を変えること”であり、“より遠くを目指すこと”でした。
でも今の私にとっての変化とは、
「もっとすごくなる」ためではなく、「もっと“わたし”で在る」ためのもの。
「得る」よりも、「味わう」ことに向かうもの。
この感覚に気づいてから、自然と時間の概念も変わりました。
以前は「育児をしながらも何かを成し遂げなくては」と、どこか焦っていた私が、
今は、ただそばにいること、それだけで充分なのだと、心の底から思えるようになってきました。
家族と過ごす時間のなかにある、平和でやわらかな空気。
それがどれほど尊く、どれほど豊かなのか――今ようやく、実感できるようになった気がしています。
でも、この豊かさは“がんばって手に入れたもの”ではありません。
むしろ、自分でもどうしたらいいのかわからないような時期の中で、
ただ、どうにもできずに、立ち止まるしかなかった時間の積み重ねの中で、
ふっと何かがほどけるように、
「もうあること」に気づかせてもらえた瞬間があったのです。
振り返れば、ずっと目の前にあったのに、
“何者かにならなきゃ”という想いが、
それを見えなくしていただけなのかもしれません。
私たちは、ときに「変わらなければ」と思いすぎて、
すでにある満ち足りたものに、目を向けることを忘れてしまうことがあります。
でも、変化とは、何かを“変える”ことではなく、“気づいて、還ってくる”ことなのかもしれません。
すべては移ろいゆく。
だからこそ、今ここにある“あたりまえの日常”を、心から味わいたい。
この一瞬一瞬を、大切に抱きしめて生きていきたい。
そう思えるようになった今、
コーチングの「コンフォートゾーンを抜ける」という言葉にも、
新しい意味を感じています。
それは、「努力して飛び越える」ことではなく、
“本当の自分が安らげる場所”へと、静かに移行していくこと。
そしてそこに、“何かを成す”よりも、“ただ在ること”の価値を見出せるようになること。
これから私は、外に何かを証明しにいくような生き方ではなく、
「今ここにある平和」を丁寧に味わいながら、自分と家族とともに在る時間を大切にしていきたいと思います。
その中で、また自然に湧き上がってくる願いがあれば、
それにそっと従えばいい。
そうやって、「追いかける人生」から、「味わう人生」へと、
これからも静かに歩んでいきたいと感じています。